大切な地球の未来を担う子供たち一人ひとりに
ベビマやチャイマ、思春期や大人へのTouch…触れることを通して「楽に幸せに生きられる」を伝えていくTouchセラピスト
セルフエスティームTouch協会代表 スクール&サロンHOCORU主宰
1973年8月 愛知県生まれ
ものすごい嵐の雷雨の中生まれたようで、もう少しで名前が「雷子〈ライコ」になるところでした。止めてくれた良識ある伯母さんありがとう。
母親は今でも元気ですが、幼いころ臨死体験をして霊感強し。その頃から抱えた生きづらさによって自殺願望あり、何度もトライするが死にきれず。
20代後半、私と姉を生んだことで、この子たちのために生きていこうと心を決める。
母親はいつもボケっとしているので、私はあまり怒られた記憶なく自由だった。
私が10歳の時に父親が急死。大好きな人が目の前から突然いなくなる、二度と会えないことが死なのだと漠然と理解しつつ、受け入れられないまま思春期に突入。ちょっとグレる。
父の死をきっかけに母の実家のある北海道札幌に移り住む。気持ちは道産子。
貧しい母子家庭だったため、進学は諦めて高卒で保険会社の内勤として就職。
23歳で転勤族の夫と情熱だけで結婚。帯広の厚生病院で26歳の時に長女出産。
少し小さめでNICUに入院。心残りの多いお産だった…
29歳の時に、東京富ヶ谷の社宅で次女を自宅出産。この自分の身体の機能をフル稼働した自然出産が、生まれて初めて自分自身をリスペクトする感動体験となる。
後ほど次女は胎内記憶で出産のことをバンバン語りだす(面白い!)
その18年前の次女出産後に東京でベビマに出逢い、魅了される…が、当時は「ベビー期に施すマッサージ」と教わったため、次女ばかりにベビマをする→ますます可愛くなる次女。
当時3歳の長女にはやっておらず、今でも悔やむ。
典型的なTHE☆イイ子ちゃんの長女。
死にたい願望を口にした6歳から「私は一体何をしていたんだ…」と、やっと長女にもベビマを始める。
愛があっても伝わらない切なさ、罪悪感いっぱいの取り戻しベビマ。
そのおかげで、少しずつ自分も愛されていることを受け取ってくれた長女(涙) ベビマがなかったら私の子育てはどうなっていたことやら!
今でも、大学生と専門学校生の2人の娘たちにたくさんTouchをしながら、私が母として救われ、そしてたくさんの恩恵を受けて感動しています。
大きくなっても触れるたびに愛おしさやお母さんになった幸福感が湧き上がってきて、こっそり泣いています(うざい)
もう我が子たちは巣立ちのカウントダウン
大きな世界に飛び立つときに、こんなにもたくさん愛して育てた!!あなたのお母さんになれて私は世界一幸せだった!!ってガッツポーズで見送れますように。
そして、この世界から私がお空に還るときには、愛する我が子にお手手を握ってもらえるだけでとってもHAPPYだなぁって妄想しています。
人間は自分がしたことがそのまんま返ってくるもの。
そのためには、一緒にいられる時間の中で、私が愛を伝えてたっくさん触れないとね♪
最後に、結婚25年になる夫もベビマ33歳デビューですが、心が弱ってくるとベビマをリクエストしてきます。2021年公務員を退職し、長年の夢だった農家になりました!
我が家は貧乏になるけど、生き生きしている夫を心からエール&Touchで応援しています。
大切な地球の未来を担う子供たち一人ひとりに
あなたがかけがえのない存在だと
こころの深いところに届きますように。
子育て(命を生み育てること)は何よりも尊く崇高なオシゴト
ベビマやキッズマッサージなどのあたたかいTouchを通して
今、目の前にある大きな幸せに触れ
子どもの存在 ママ自身の存在
共にここに生きているという実在感を味わい
お互いの価値をたっぷり感じて欲しい。
そんな想いで ベビマやTouchをお伝えしています
「HOCORU」屋号ホコルの由来
ありのままの子どもを誇る
自分自身を誇れるママになりますように
2002年 東京にて次女を自宅出産し、ベビマやアロマセラピー、タッチケアに出逢う
2004年 アロマやハーブコーディネーターとして講師活動
2006年 ベビーマッサージセラピストとして活動開始
2009年 円山にHOCORUサロンを構え、ベビマセラピスト養成スクール開講
2014年 セルフエスティームTouch協会を設立、タッチケアの普及活動に勤しむ
保育士さんや医療者、教育関係へのタッチケア研修会やPower of Touch講演会など多数。
2019年 HOCORUサロン&スクール10周年 北海道各地や東京で500名程のベビマセラピストを養成。
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札幌市中央区大通西22丁目1-23
ル・クラシック22 701号室